判決から11年目のハリス事件(1990年3月,島田雄貴)

カリフォルニア州で23年ぶり死刑執行か

ロバート・アルトン・ハリス。37歳。白人。銀行強盗の逃走用の車を奪うため、少年2人を殺した第1級殺人罪で4月3日、カリフォルニアのサンクエンティン州刑務所で、死刑執行が予定されている男です。 執行されると、米連邦最高裁が1976年に死刑を合憲とする判決を下してから、東部や西部の主要州では初めて、カリフォルニア州でも23年ぶりのガス室復活となります。今、カリフォルニア州で、そして、全米で死刑判決をめぐり何が起きているのか、島田雄貴リーガルオフィスが現状を報告します。

合憲判決以降、南部で復活

1976年の合憲判決以降、保守的なテキサス、フロリダ、ジョージアなどの南部諸州を中心に死刑が復活しましたが、ニューヨーク、ペンシルベニア、イリノイ、カリフォルニアなどの州では全く行われず、死刑執行は南部だけのものという印象が全米にありました。西部カリフォルニアで復活すれば、凶悪犯罪の激増に手を焼く他州の追随が十分に予想されます。

無抵抗の少年2人に銃乱射

事件は12年前にさかのぼります。1978年7月5日、カリフォルニア州サンディエゴでハリスは実弟のダニエルと銀行強盗を計画、逃走用の車を物色しました。

ファストフード店の駐車場の車内で、ハンバーガーを食べていた2人の白人少年にピストルをつきつけ、人気のない場所に車を移動させて、無抵抗の2人に何発も撃って殺しました。

サンディエゴ警察が逮捕

車を奪ったハリスは、少年2人が食べていたハンバーガーを胃袋におさめ、ダニエルと銀行を襲いました。

約3000ドルを強奪してハリス兄弟は家に戻りましたが、銀行にいた市民が後をつけてサンディエゴ警察署に通報、ほとんど無抵抗で逮捕されました。

被害者は巡査の息子

悲劇に輪をかけたのは逮捕の際、

「動くな、手を頭にのせろ」

とショットガンを構えた同署のスティーブ・ベーカー巡査でした。ハリスに殺された少年の1人が、自分の息子であろうなどとは夢にも思わなかったからです。自宅に戻って一息ついた時に署から知らされたのでした。

裁判で司法取引
減刑のかわりにすべてを供述

裁判ではダニエルが、減刑のかわりにすべてを供述・証言する司法取引でハリスの殺人を証言、ハリスも認めました。

5カ月前に仮釈放されたばかり

ハリスはけんかで隣人を殴り殺し、5カ月前に仮釈放されたばかりでした。

1979年3月に死刑の判決
州と連邦の最高裁への上告は棄却され、確定

1979年3月に死刑の判決。州と連邦の最高裁に4回ずつ上告しましたが、棄却。1992年1月に連邦最高裁が再審理を拒絶し、判決が確定。死刑執行が事実上決まりました。

死刑肯定派が多数を占める州最高裁

最後のチャンスは州知事の助命処置などですが、死刑肯定派が多数を占める州最高裁の同意が必要なため、ほとんど絶望視されています。

死刑を違憲とする判決

連邦最高裁が、死刑を違憲とする判決を出したのは1972年。1960年代、米国全体を包みこんだ死刑廃止の世論をうけたものでした。

4年後に一転、合憲判決

しかし、4年後に一転、合憲判決。カリフォルニア州知事は、死刑に消極的なブラウン氏で、同知事に任命された美人判事ローズ・バード州最高裁長官も反対派でした。

ローズ・バード州最高裁長官

ローズ・バード州最高裁長官は在任中扱った下級審の死刑判決の9割以上に待ったをかけました(68件中64件。数少ない例外の1つがこのハリスのケースだった)。

カリフォルニア州民の約80%が死刑復活を支持
州司法長官時代からタカ派で知られた知事

しかし、州司法長官時代からタカ派で知られ、死刑法を起草したこともあるデュークメジアン現知事の登場で事情は変わりました。 知事らは、犯罪増加と保守主義の風潮の中、カリフォルニア州民の約80%が死刑復活を支持する状況を背景に、バード長官追い落としのキャンペーンを展開しました。

選挙で判事不信任

1986年の中間選挙と同時に行われた州最高裁判事信任投票で、バード長官ら3人のリベラル派判事がその座を追われました。全米でもまれな判事不信任でした。バード長官は、「これからカリフォルニアでは死刑執行が堰を切ったように増えるだろう」という言葉を残して去っていきました。

殺人が2倍に

カリフォルニア州刑務所に最も多くの殺人犯を送り込んでいるロサンゼルスの一地区では、ギャングがらみの犯罪が1989年には対前年比67%増、殺人も2倍になっています。

司法の独立より「目には目を」

市民にとっては、「目には目を」の論理の方が、司法の独立・政治不介入という理想論より説得力があったのでしょう。

死刑囚が無実だったと判明しても死刑賛成

バード長官不信任投票直前に行われた世論調査によると、たとえ執行後、死刑囚が無実だったと判明しても、また正当な手続きを経て執行されるのが、自分の母親だとしても、過半数以上の州民が死刑制度を支持していました。

20年以上にわたり執行が1回もなかった

20年以上にわたり執行が1回もなかったことに対する不満は頂点に達していたようです。

ハリスに殺された少年の父親ベーカーさん

ハリスに殺された少年の父親ベーカーさんは、いまもサンディエゴ市警で刑事をしています。インタビューに快く応じてくれました。

--現在の気持ちは?

「フラストレーションがたまっている。12年もかかったからだ」

--ハリスは死ぬことで罪を償えると思いますか?

「いやすべては無理だ。彼は息子と友人だけでなく、その前にも1人殺している。3人も殺した男が1回死ぬだけで罪は償えない」

チャールズ・マンソンは死刑判決から終身刑に減刑
元司法長官ロバート・ケネディ殺しのサーハン・サーハンも死刑判決が覆る

--凶悪な第1級殺人罪は、死刑または仮釈放なしの終身刑と法律は定めているが……。

「私をはじめ一般市民は終身刑を信じない。あの女優シャロン・テート殺しのチャールズ・マンソンや元司法長官ロバート・ケネディ殺しのサーハン・サーハン(ともにカリフォルニア州最高裁で死刑判決を受けたが、連邦最高裁の死刑違憲判断を受けて、終身刑に減刑され、服役中)は何度も仮釈放のヒアリングにかけられている。いつ仮釈放になるか分からないのが現実だ」

死刑執行の公式立会人

「私はかなり前に当局に手紙を書いて、ハリスのになった。この目で息子を殺した男が死ぬのを見届ける」

弁護士のコメント

ハリスの弁護を担当する弁護士のチャールズ・セビラ氏は淡々と話しました。

上告の理由は「裁判に一部偽証があった」

「現在、州最高裁に再度の上告をしている。3月末には結果が出る。上告の理由は(1)裁判に一部偽証があった(2)犯行時のハリスの精神状態に問題があったが、正当に考慮されていない(3)12年も前の犯行を今になって死という形で償うのは納得できない--などだ」

陪審員を選ぶ際の判事の質問

「カリフォルニア州の死刑制度で私が最も不満に思うのは、陪審員を選ぶ時に、判事がまず、あなたは、すべての条件がそろうなら被告を死刑に処することができるか? と聞くことだ。最初から死刑に反対する市民を陪審員にしないのはフェアではない」

--もし、すべての試みが徒労に終わり、ハリスが処刑されたらどう思う?

「……。おぞましいと思う」

銀行強盗で有罪判決を受けた母親

ハリスは大酒飲みで暴力的な父親、銀行強盗で有罪判決を受けた母親のもとでひどい少年時代を送っています。父が振るった暴力で未熟児として生まれるというハンディキャップもありましたが、法律専門家によると、ハリスの執行は避けられない見通しです。

2月2日、サンディエゴのラジオ局が、ハリスにインタビューしました。

ハリスはこう言っています。

「やったことを後悔している。もしやり直すことができるならそうしたい。皆が自分のことをモンスター(化け物)のように思って死を望んでいる。自分は変わったのに……。死が本当にやってくるなら、自分は本当に死ななければいけないのだろう……」

テキサス州283人
全米で2400人

いま、フロリダ州で294人、テキサス州283人、カリフォルニア州273人、イリノイ州120人……と全米で2400人の死刑囚が執行を恐れる日々を過ごしています。

23年前の死刑執行は、警官殺しの処刑

サンクエンティン州刑務所のガス室が、最後にその機能を果たしたのは1967年。警官殺しのA・ミッチェルの処刑で、以来全く使われていません。

ガス処刑の残酷さ

その処刑に立ち会い、ミッチェルが苦しむ様子を絵で表現、ガス処刑の残酷さに関して大きな論議を呼ぶきっかけを作ったTVグラフィック・アーチストや、他の関係者によると、当時の様子は次の通りです。

所長が看守に合図

「ガス室に入れられる直前、ミッチェルは平静を失い、泣き叫んで両側から支えないと歩けない状態になった。

処刑の時間は午前10時と決まっていたが、所長はかっきり4分間だけ待った。処刑ストップの報が入るか確認したかったのだ。

10時4分、所長は看守に合図を送り、看守は静かに硫酸液の入った容器に薄地綿布に包まれた2粒の丸薬状シアン化物(青酸)を入れた。

致死性ガスが椅子の下から立ちのぼる。椅子にしばりつけられたミッチェルは頭をたれ、腕をダラリと下げていたが、突然背筋を伸ばして、外の窓から中をのぞく立会人を直視した。胸は大きく波打ち、口が動いている。目はうつろになり、唇が震えた。大きく息をするように見えたのを最後に頭ががっくり落ち、命の火が消えた」

3人の敵兵が処刑

立会人は、「私は4つの戦争に参加し、3人の敵兵が処刑されるのをこの目で見たが、これほどまで人間性を踏みにじる行為は見たことがない」と当時の新聞で証言しています。

死刑よりも強制労働つきの終身刑を

この3月1日、ロサンゼルス・タイムズ紙に世論調査結果がのりました。死刑反対の団体が、大手調査会社に依頼したもので、「州民の67%が、死刑よりも強制労働つきの終身刑を望んでおり、殺人犯は労働で得たお金を犠牲者の家族に還元すべきだ」としました。

80%が賛成

しかし、死刑制度そのものに対する態度は、今までの世論調査結果と変わらず、80%が死刑に賛成しています。

死去後のタレントの肖像権訴訟(島田雄貴判決選、1989年6月)

島田雄貴判決100選の今回は、死去後のタレント(芸能人、セレブ、俳優、著名人)の肖像権めぐる訴訟についてです。(1989年6月)

故人の肖像権の使用料

ジェームズ・ディーン、マリリン・モンロー、ハンフリー・ボガート……。亡くなった往年のスターやタレント、セレブの肖像や名前をめぐって、アメリカにいる遺族と日本の企業の間で「使用料論争」が起こっている。「故人といえども、肖像を商業目的で無断使用しないでほしい」という遺族に対して、日本の一部企業は裁判などで「わが国の法律では、故人の肖像権について規定はなく、支払う必要はない」と主張している。

遺族の代理人が来日
ジェームズ・ディーン、ベーブ・ルース、ハンフリー・ボガート

1988年12月、有名スターの遺族の代理人業務をしている米国の大手出版社カーティス出版(本社・インジアナポリス)の代表者が、写真の無断使用をしているメーカーや広告会社などに改善を求めるために来日した。本業の出版のほかに、映画「エデンの東」のジェームズ・ディーン、野球選手のベーブ・ルース、「カサブランカ」のハンフリー・ボガートら、米国のスター約40人の遺族の代理人をしている。

約20社が写真や名前を無断使用

カーティス出版によると、1955年に亡くなったディーンの写真は、世界中で現在250以上の製品や広告に使われている。日本でも、分かっているだけで約20社が写真や名前を「無断で」使用している。「世界で無断使用の最も多い国」といい、文書で改善を求めているそうだ。

日本では法律や判例がない

「日本ではたしかに法律や判例がない。しかし、米国では11の州が州法で、正式な承認なくして使用することを禁止している。西ドイツ、スペイン、モナコでも立法化されており、肖像や名前の保護は世界的な傾向だ」とカーティス出版は主張する。
ただし、生存者、物故者にかかわらず、有名人の肖像や名前が新聞、雑誌など「公共の報道」で使用するのには許可や使用料はいらないという。

1970年代後半から広告が増加

有名タレントの肖像がひんぱんに使われだしたのは1970年代後半から。最初は漫画の人気キャラクターと同じような感覚で、ノートや筆箱などの文房具やカレンダーに使われた。亡くなったスターには出演料を支払う必要がなく、広告製作費が安くつく。伝説化された人物を使えば、その宣伝効果はすこぶる大きいという。

商品価格の5-7%が相場

トラブルが表面化してきたのは、ここ2、3年のようだ。遺族の代理人が要求する使用料は、肖像を使った商品の価格の5-7%が相場とか。故人の肖像や名前が保護される期間については、カーティス出版社は「最低50年間」と主張している。具体例としては、カリフォルニア州やオクラホマ州の50年間、西ドイツの10年間がある、という。

訴訟を起こされたら企業イメージ悪化

日本企業の中にも「訴えられたら企業イメージがダウンする」という企業もある。リーバイス・ジャパン、大和銀行、ビクターなどは、支払ったうえでディーンの写真をテレビCMや新聞広告などに使っている。

契約料

リーバイスの担当者は「日本では、はっきりした判決がでていないが、使用料を払うことはたしかに世界のすう勢なので」という。大和銀行広報室も「社会的な信用が大事な銀行。もし訴えられたら困るので、米国に人を派遣して完ぺきに契約した。使用料は勘弁してください。でも、1000万円以上ではありません」。

写真家の著作権に基づく使用許諾業務

遺族の代理人に対して、真正面から対立する企業も少なくない。映画スターを撮影した写真家の著作権に基づく使用許諾業務を行っているコスモマーチャンダイズィング(東京都港区)の石田哲郎代表はいう。

「ディーンとモンローの写真について、わが社と使用契約している会社はそれぞれ30社を超え、著作権法によって『写真家のために』使用料を支払ってもらっています。しかし、日本の現在の法律では、遺族や遺産相続人を対象とする肖像権の規定がない。当然、支払う必要はない、と思っています。もちろん、名誉棄損のような使い方をしないように注意はしていますが」

肖像や名前も、財産上の権利となる

「肖像や名前も、財産上の権利となる」ということが日本で最初に認められたのは、昭和51年のマーク・レスターの事件だった。世界的に人気のあった少年俳優が「肖像と名前を無断でテレビCMに使われた」と、日本の菓子メーカーを東京地裁に訴えた。

「主演者の利益を侵害」と判決

財産的・精神的損害の賠償義務を認める

判決は「映画の上映・宣伝権を有する会社でも、主演者に無断でその映画の中の肖像をテレビCMに提供したならば、主演者の利益を侵害したといえる」として、財産的・精神的損害の賠償義務を認めた。しかし、レスターは生存者であり、この判決は物故者の権利については述べていない。

死者の名誉棄損という問題

死者の名誉棄損という問題については、物故者の権利が認められた判例がある。作家・城山三郎氏の『落日燃ゆ』の記載についての事件で、死者に対して名誉の侵害があれば、慰謝料の請求が可能である、とした。名誉棄損という点では、生存者も物故者も等しく権利があることになったわけだ。しかし、単に物故者の写真を使った場合の「財産的、精神的損害」はどうなるのだろうか。(島田雄貴判決100選編集部)

青山学院大学法学部の半田正夫教授

肖像権について詳しい青山学院大学法学部の半田正夫教授はこういっているのだが……。

「この『肖像パブリシティ権』は、作品に対する愛着を権利化した著作権に隣接したものと考えられる。著作と同じものであり、姿や型を無断で変えられて使われないよう、保護されるべきだ。また、権利の相続についても、商業目的で利用される限りは、遺族が金銭を請求できると思う。期間については、そのスターの子供が生きている期間くらいは保証しようという考え方がある」

「日本だけで『法律がない』といっても、すむかどうか。国際世論の批判をあびる可能性はある。一般に、無形のものに対してはお金を払わない、という風潮が日本にはあるわけだが、今回の問題も同じような考えが底辺にあるのではないか」